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校長の声
No.48 からだと心のケアに ――戴帽式の式辞から

No.48 からだと心のケアに ――戴帽式の式辞から 

 戴帽生の皆さん、今年は、新型コロナウィルス対応に明け暮れ、この式も人数制限で行わざるを得ませんでしたが、早くに看護師を志した皆さんの決意が、改めて問われる年にもなりました。

このウィルスの発生元も、有効なワクチン製造も、まだ決定的には明らかでありません。明らかになったことの一つは、人間は自分一人の注意では自分の生命・健康を守ることはできないということ、にもかかわらず、ウィルス感染者や医療従事者に対して心無い言葉や視線を投げかけてしまう、人間のからだと心の有限性・弱さです。

このような状況下だからこそ、私たちは以前にもまして、有限な、弱い人間のからだと心のケアに欠かせないエッセンシャルワークである医療・看護の使命の崇高さを、認識しなおさなければなりません。

皆さんは、与謝野晶子という人の名前は聞いたことがあるでしょう。普通には、歌集『みだれ髪』の作者の、情熱的な歌人として知られています。彼女は夫である与謝野鉄幹との間に12人の子どもを設けましたが、夫が定職につかなかったため、ほとんど彼女一人の働き・彼女一人の収入で家計を支え続けました。

その与謝野晶子は、今からちょうど100年前、1918年から1920年にかけて世界中で300万人以上が死亡し、日本でも約38万人が死亡したスペイン風邪が広まっていた時、次のような文章を書きました。

「私は死を怖れて居るに違いありませんが、固体の私の滅亡が惜しいからでは無く、私の死に由って起る子供の不幸を予想することの為に、出来る限り生きて居たいと云う欲望の前で死を拒んで居るのです」

「私は今、この生命の不安な流行病の時節に、何よりも人事を尽くして天命を待とうと思います。『人事を尽す』ことが人生の目的でなければなりません。例えば、流行感冒に対するあらゆる予防と抵抗を尽さないで、むざむざ病毒に感染して死の手にかくしゅされるような事は、魯鈍とも、怠惰とも、卑怯とも、云いようのない遺憾な事だと思います。予防と治療に人為の可能を用いないで流行感冒に暗殺的の死を強制されてはなりません。」

100年前の与謝野晶子の言葉です。子を思う母親の立場からの彼女の覚悟の表明は、今日の誓いの言葉で「私の手に託された人々の真の幸せのために、心を尽くして奉仕すること」を誓った皆さんの決意の表明と、他者のケアに生きようとする点では、同じと言えます。人事を尽して「人々の真の幸せ」に尽くすことができるように、カトリック校である本校内外の多くの方々の力を借りながら、「手」も「心」もさらにさらに磨いていきましょう。その決意を、今日、ここで、しっかり固めましょう。


下の写真は、校長室を飾ってくれていた華道部の皆さんの作品です。​

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